2013/01/25 Fri
ケアマネ公務災害裁判の内容について、知りたいという声があるので、私が、2012年末に 大阪地方裁判所第5民事部に提出した陳述書を順次紹介します。

陳述書 日下部雅喜  その③

3 はるか在宅サービス不正事件
 2006年6月、訪問介護事業所と居宅介護支援事業所を併設している「はるか在宅サービス」の介護報酬不正請求が発覚しました。Kさんは、2005年12月まで同事業所に非常勤ケアマネジャーとして勤務していたことから堺市当局は、Kさんの不正関与を疑い、Kさんが職場復帰した同年10月以降も給付費実施調査の業務から外し、内勤事務に着かせました。
 しかし、一方で、堺市としてKさん本人に対する調査や事情聴取はいっさいなく、大阪府による「元従業員」としての聴取が1回あったのみでした。堺市として、本不正事件の真相を解明しないまま、Kさんの不正関与を疑い続け、いっさいの釈明の機会も与えないまま実地調査業務を取り上げつつけたのです。
 はるか在宅サービスの居宅介護支援事業所は、本人の知らないままKさんを唯一の「常勤ケアマネジャー」として大阪府に指定申請していました。Kさんは同事業所在職中は週3日堺市に介護認定調査員をしており、常勤ケアマネジャーとして従事していないことは明白であり、同事業所は「不正な指定受領」として介護保険法に基づき介護報酬の全額返還を命じられても当然でした。ところが、はるか在宅サービスは訪問介護での不正請求1件のみの不正請求とされ、訪問介護事業所は指定取消処分を受けたものの、居宅介護支援事業所は自主廃業でその不正は不問にされています。
 Kさんは、事業所に対する実地調査を本務として採用されながら不正関与の嫌疑をかけられ、釈明の機会の与えられず、内勤事務に従事させられました。その間自分を疑っている上司(事業者指導室長ら)と同じ部屋で本来業務でない事務を終日座ってやらされるという精神的苦痛を2007年2月21日まで毎日味合わされてきたのです。

4 発症にいたる経過
 私は、2006年9月に事業者指導室に介護保険事業所の介護サービス内容について問い合わせの電話をした際にKさんが応対に出た時、急に声を落として「実は、私が以前に勤めていた事業所が不正をやっていたのが問題になって調査に行かせてもらえないようになって毎日ここに座っているんです」とささやいたことからこのことを初めて知りました。
 私がこの問題でKさんから、本格的に相談を受けたのは同年12月に、雇止め通告を受けてからでした。相談を受けた12月20日に私が開設しているブログ「オンブズマン放談」に次のように投稿し公表しました。
「濡れ衣解雇
2006/12/20 Wed
過去にケアマネとして週3日お手伝いに勤務していた事業所の不正が発覚したら、自分が常勤ケアマネとして届けられていて、不正請求の実行者の濡れ衣を着せられた。そのことが原因となって「雇い止め」解雇。とんでもない相談を受けた。行政の中途半端な処分の犠牲者である。徹底的にたたかうことにした。」
そして、12月22日には以下のように投稿し、闘うことを宣言しました。
「さあ、たたかうぞ
2006/12/22 Fri
例の「濡れ衣」解雇について、組合、当事者、私で協議を行った。堺市の事業者指導にあたるセクションでありながら、このような理由で雇い止め解雇を通告するとは言語道断。」
 この記事に対し、当時の福祉推進部長(芳賀氏)が、わざわざ私の職場まで電話をかけてきて「記事を削除しろ」と言いがかりをつけてきたこともあり、堺市当局はかなり慌てたようすでした。
当初「期限は来年3月までと決まっている。」と強弁してきた当局でしたが、組合との協議の中で、芳賀部長は、雇止めの理由について、「はるかのことがある。不正関与の証拠確認ができなかったから、10月で切らず3月まで延ばした。3月で辞めれば福祉サービス公社を世話するが、全面的に争うなら後は世話できない。」とのべたと協議にあたった組合役員から聞きました。
 Kさんの雇い止め解雇通告は、その数日後の12月28日に撤回されましたが、これは、当局内部でも不正関与疑惑を理由に雇用継続拒否はできないという意見もあったためと聞いています。
 雇い止め通告は撤回されましたが、Kさんは、このことでひどくダメージを受け、職場に出勤することがさらに苦痛になっていきました。
 私は、解雇通告が撤回された年末、Kさんに「不正濡れ衣」について、釈明書を書いて市当局に出すことをすすめました。Kさんは、何日もかかって「不正に関与していたかのような疑いはきっぱり晴らしてください~『はるか在宅サービス』不正事件の全容解明を求めます」という釈明書を書きあげました。また、ケアマネジャーとしてKさんが得ていた給与額についても金額や経過、根拠なども資料を作成されました。
2007年1月30日、Kさんが書き上げた釈明書を私も立会い、芳賀福祉推進部長へ提出し、部長は「2月中に返答する」と明言しました。私たちはこのことばに一縷の望みをつなぎました。

 当時、私のもとにKさんから送られてきたメールを紹介します。
「1月31日
日下部様
今日は(も) お忙しい中、ありがとうございました。
今月は老健施設の調査で気がまぎれました。
明日は今年度最終で『いずみの郷』に行ってきます。
年末の腹立つやら悔しいやらの気持ちは通り越して、薄ら笑いが出てきそうです。
まるでテレビでしてる政治番組の小さい世界にいるようです。
これから先・・というか2月からどんなふうに気持ちを切り替えて
頑張ればいいのかわからないのが正直なところです。
やめたいです。
弱音というよりは、お願いされるなら働いてあげてもいいけど
何で高くもない給料でそんなえらそうに一方的に悪者にされて一生懸命釈明して働かなあかんの!
って感じです。
(略)
もう気が病みそうです・・
既に病んでますかね・・
何とか狂わないように踏ん張ります。
毎日毎日ご苦労様です。
とりあえずのお礼メールで愚痴ってしまってごめんなさい。
おやすみなさい。」


そして、Kさんが出勤できなくなる前日(2007年2月21日)のメールです。
職場の雰囲気の悪さ、上司や同僚の言動にふれた後
「何とか理解してそういう物の考え方やめてもらいたいのですが・・もう諦めに入ってきました。
(略)
17年度の返還金から18年度の返還金目標は8000万たら1億たら当初言うてました。
売り上げ(返還金)があがってないから部長がブーブー言うそうです。
私らの仕事は給付の適正化であって売り上げ目標なんてあるのがそもそもおかしな話やけれど、返還金に変わる言い訳は「2箇所も指定取消にしたこと」ですって。
どちらも最後の最後まで給付し続けてちっぽけな金額しか返してもらわんと・・
結局○○さん(○○さんも?)が自分らの過失を認めたくないために訳のわからん正当化した話に変換してるみたいです。
はるかのことでは私を悪者にして話を終わらせたつもりになってたのだと思います。
ところが雇い止めには抵抗するし、ちゃんと調べよと文書は出すし・・
私を「白」と判断することは自分らの調査のミスを認めることになるんでしょうし。
こんなじゃだめ、来年は・・ってマニュアル作成の前段階のものも提出したけど○○さんは私のことがうざくてたまらんのだと思いますわ。
○○さんの陰口を言いながら本人にはニコニコ仲良しして・・結局ズレて普通に物考えない○○さんが都合いいのでしょう。
もうこんな腐った職場にいるのいやです!
精神的に限界を感じてます。
日下部さんに愚痴ってしまってごめんなさい」

そして、主治医の診断を受け、休みに入った2007年2月22日当日のメールです。
「日下部さん、私は本当に限界です。
職場は相変わらずコソコソ、いやな雰囲気です。
○○さんが事業者の内部告発してきた話だけを聞き、辞めた(解雇された?)ケアマネさんには何も聞かず、悪者扱いしている話を聞いていると、私もこういうふうにされていたのだとオーバーラップして胸が苦しくなります。
役所に出勤の前日は一睡もできない日が続いています。
今日も休んでしまいました。
眠れない日が続き、自分でもどうにかなってしまいそうで、今日神経科に行きました。
『不安抑うつ状態』との診断書をもらいました。
明日からしばらくは病欠で休みます。
といってもまだ診断書も出せていません。持って行かねばとは思うけど、気持ちが受け付けない・・どうしても足が向きませんでした。
釈明書に対する回答の期限(2月末)までは意地でも!と、休みながらも頑張っていたけど、体の方が先に壊れてしまいました。
「Kさんのことであんなふうに動いて、日下部さんに迷惑がかからなかったらいいけどね」・・○○さんが仲良ししている事務員さんに言ったそうです。
どういう意味!?って腹立つけど・・日下部さんにも要らぬ迷惑をかけているのかもしれません。
ごめんなさい。」

 私はこれを読み返していて、Kさんが、2006年12月の退職強要を期に大きく追い詰められ、職場でも孤立し、心理的に追い詰められていくようすがありありと浮かんできます。また、そうしたKさんを支えきれなかった悔しい思いがいたします。


(つづく)
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プロフィール

福祉・介護オンブズマン管理者 日下部雅喜(くさかべまさき)

Author:福祉・介護オンブズマン管理者 日下部雅喜(くさかべまさき)
 福祉・介護オンブズネットおおさか事務局長
 介護保険料に怒る一揆の会事務局長
 大阪社会保障推進協議会介護保険対策委員
 
 

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