2013/08/15 Thu
今日は「終戦記念日」。
私は以前から「敗戦の日」とよんできた。日本帝国主義の15年以上に及ぶ侵略戦争が「敗れた日」という意味である。
しかし「8月15日」について、歴史的に検証する論説をフェイスブックで拝見した。
断片的に引用する。
日本がポツダム宣言を受諾したのは8月14日である。ミズーリ号で降伏文書に調印したのが9月2日。アメリカをはじめかなりの多くの国が、この9月2日を戦勝記念日としている。日本も占領文字色下においては、この9月2日をもって「敗戦記念日」としていた事実もある。 しかし、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」について(昭和57年4月13日閣議決定)において、8月15日を記念日として武道館で追悼式を行うことを決定している。なんのことはない、つい最近までは、なんの根拠もなかったのである。
で、なんで8月15日なのかといえば、有名な天皇の「玉音放送」が8月15日の正午だったという事実に、引きずられているのだろう。これが、日本の「お盆」の行事とぴったりと重なり、死者を弔う習慣の中に吸収されたというのが、有力な説である。 このあたりは、佐藤卓己 『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』(筑摩書房[ちくま新書]、2005年7月)にくわしいらしい。(私はまだ読んでいないので受け売りであるが。)
国際法上の正式の終戦は、1952年4月28日のサンフランシスコ条約の発効日である。これが片面講和となったので、日本の終戦はかなり混乱したものとなる。韓国などは植民地だったので、そもそも条約締結に関与していないし、中国も現在の人民共和国は48年以降なので、これも関与していない。
このように考えると、8月15日の式典などは、かなりいい加減な話であることが理解できよう。 なるほど、天皇の「耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び」という玉音放送と先祖の霊や死者を祭る「お盆」の融合が、日本民族の「戦争犠牲者追悼の日」を生むことになったのだ。
「終戦記念日」は、実は、1982年の閣議決定にではじめて公式に定められた。「昭和20年(1945)8月15日に第二次大戦が終結したことを記念する日」とし、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」としたのである。
そして、ことしの戦没者追悼式
戦犯昭和天皇の後継者である現天皇は「ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
と戦争責任も何も忘却の彼方である。
これまたA級戦犯の孫の安倍首相にいたっては、「貴い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。」
その尊い犠牲を誰が強いたのか、完全に隠し去ったまま厚かましい限りである。
今日のNHKはじめ各テレビの報道を見ていると、侵略戦争への認識もアジア諸国民への「加害」の反省も一片もない低次元な内容に終始している。
安倍内閣の閣僚の靖国参拝への韓国・中国の「反発」や、韓国の国会議員の抗議行動などをを報道しつつも、ななにやら「静かに戦没者追悼してい日本人」と「騒ぎ立てる韓国・中国」の反日主義という構図を描いている。
どうやら「8月15日」の歴史的検証から、日本の侵略戦争、そして敗戦の歴史的事実を真摯に学び明らかにすることから始めなければならないのではないだろうか。
そうでないと、尖閣問題を煽りたて、「島嶼防衛」=自衛隊に海兵隊機能だとか、集団的自衛権容認などの現代の戦争への脅威に対する危機感と「先の戦争」の「反省」が結びつかない。そればかりか、大阪の恥さらし市長のように「慰安婦問題は日本だけが非難されるのはおかしい」などという厚顔無恥な発言や、アホの麻生太郎のような「ナチスに学んだらいい」などという国際的非常識を許すことになりかねない。
日本武道館の8月15日正午の天皇を先頭とする「黙祷」はヤスクニと同レベルのものであろう。
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