2013/10/08 Tue
堺史上400年ぶりの壮挙となった2013年市長選。
堺の歴史と共にそのエピソードを綴る。

第2話 大和川と橋下ツイッター

「大和川」は堺市の北端を流れる川である。すなわち、北方にある大阪市と堺市を区分する境界線でもある。

「大和川の向こうのヒトラーもどきの集団に堺をつぶさせてはなりません!」。9月15日の市長選挙告示日の竹山陣営出発式で、堺はひとつ市民の会代表はこうのべた。

堺市民にとっては「大和川の向こう」とは大阪市のことである。逆に大阪市側からすれば「大和川を越える」とは大阪市外へ行ってしまうことを意味する。
橋下大阪市長も堺市長選挙の最終日の街頭演説でワン大阪実現を訴えながら「大阪市から見ると大和川を越えるだけでとても遠くに行くような気がしてるんです。大阪市や堺市の枠組みを取っ払って大阪が一つにならないとダメなんです」と言っているくらいだ。

 しかし、この大和川は昔からこの場所にあったわけでない。かつては、300年ほど前までは、大阪市側の住吉などの地域と堺市側は陸続きであった。摂津の国と和泉の国の境界は堺の大小路筋であった。
 もともと大和川は、奈良盆地の水を集めて流れ、柏原村で南から流れてくる石川と合流し、ここから西北へ折れ、久宝寺川(長瀬川)と玉串川(玉櫛川)に分かれて流れて河内平野を流れ最後は淀川と合流していた。このため河内平野は、常に洪水に悩まされていた。このため、幕府によって、江戸中期の1702年(応永元年)に、石川との合流点から堺の海岸までを結ぶ人工河川「新大和川」が造られた。「大和川の付け替え」という歴史的大事業である。
 大阪側の河内平野では、これにより水害が減少し、新田開発や河内木綿の生産など多大な経済的利益を得た。

 大和川付け替え図2

 ところが、堺は、これまで陸続きだった住吉と分断され、新しい大和川が運んでくるおびただしい土砂によって、6回におよぶ改築工事が江戸時代に行われたにもかかわらず、堺の港は埋没を余儀なくされ、大きな船が入港・停泊することができなくなった。これによって、中世の自由な湾港都市として栄華を誇った堺の町は、港湾としての役割を果たせなくなっていった。「堺」の輝かしい「黄金の日々」は新大和川によって落日を迎えたのである。
 
 さらに、新しい大和川は水害発生の危険を生み、とくに浅香山付近は大きなカーブとなっており、増水すると付近に水害をもたらす結果にもなった。

 私が堺市役所に入って3年後の1982年8月、台風による豪雨で、大和川とその支流域で大きな被害が出たことがある。当時本庁に勤務していた私たちも動員され徹夜したこと、避難所に物資を配送するため軽四の公用車で暴風雨のなか、車体がひっくり返りそうになりながら走り回った記憶がある。

 この1982年の台風時には、西除川の下流部が氾濫、堺市内の浅香山などは水浸しになった。さらに、大和川を渡る、「国鉄阪和線」・「南海本線」・「南海高野線」などの路線や、幹線道路の「国道26号」(大和川大橋)も全面ストップした。大和川に架かる一般道路の「吾彦大橋」・「遠里小野橋」・「国豊橋」など、全て通行止めとなり、大和川を挟んだ大阪市と堺市は、完全に分断され、一時的に行き来が出来なくなった。
 その後大和川流域の総合治水事業などで、大規模水害は発生は防がれてきた。

この大和川は、今回の市長選挙で物議をかもすことになった。

市長選挙告示の翌日の9月16日、台風18号が襲来し近畿一円に大きな被害をもたらした。警報が出され堺市内の一部に避難勧告も出た。

 

堺市職員の端くれである私は「災害地区班員」という役目を仰せつかっている。勤務時間外の休日・夜間に災害が起きた時、居住地の小学校に避難所を開設する任務である。
その朝、私は、警報・避難勧告と知って活動は休止し、地区班長と連絡をとり「出動指示」に備えた。
ふとパソコンでみたのが橋下の「堺市長選挙について述べます」というツイッターであった。

 橋下がツイッターを開始したのは9月16日午前9時半すぎ。大阪市と堺市の境界を流れる大和川流域の水位が上がり、大阪市にも30万人に及ぶ避難勧告が出される中、大和川の状況が落ち着くまで自宅待機で役所と連絡をとるといい、市長選挙についてツイートしはじめたという。


「状況が落ち着いてから、堺市長選挙のために堺市内に入ります。ゆえにツイッターで、堺市長選挙について述べます。久しぶりのツイッターだな~。以前の感覚、忘れちゃった。徐々に取り戻します」
ツイートは竹山市長の悪口からはじまり、大阪都構想へと延々と続いた。ところが、大阪で台風の勢力がもっとも強いタイミングだったため、「この感覚に驚き」「いいかげんにしろ!状況考えろよ!」などと市民からは怒りのツイートが相次いだ。市長選で維新側の候補と「一騎打ち」する竹山市長がさっそく氾濫した河川の視察に出ていたことがツイッターで伝えられたことなどもあって、「うち(大阪)の市長ときたら」と呆れ返る声も出た。

私は、34年前に堺市職員になった時「公務員たるものは、災害が起きたら市庁舎や市民の生命・財産を守るため、たとえ自宅が被災しようが役所に来なければならない。はってでも登庁するのが公務員だ!」と言われた。事実、大災害の時は現地の公務員たちは自ら被災しながらも住民のために家族もさしおいて出動している。阪神大震災でも東日本大震災でもそうだった。
災害の時こそ、「全体の奉仕者」たる公務員の本領が発揮される。当然、行政トップの市長ならなおさらである。

 ところが、橋下は大阪市長というトップの地位にありながら、役所に登庁もせず、自宅でツイッターざんまい。
この姿を知っただけで私は。橋下は市長どころか一切の「公務」にかかわる資格はない!と思った。

しかし、この男のとんでもないところは、台風時の自らの行動への批判に「自宅にいても市長としてちゃんとやっている」」と開き直り、さらにあろうことか、現場にいち早く駆けつけた竹山市長の行動にケチをつけたことである。
 「堤防の現状確認など、素人の市長がやっても意味がない」とツイートした。自分は自宅でツイッターしていた人物がである。
 
 この橋下の行動には、ごうごうたる非難が沸き起こった。

 東京のメディアですらこう書いた。
 橋下氏台風そっちのけで選挙ツイートに怒りと失望の声
 大型の台風18号が日本列島を縦断し猛威を振るい、福井、滋賀の両県、京都府の全域に、運用が始まったばかりの特別警報が出された。まさにそのころ、京都から遠からぬ大阪市の橋下徹市長(44=大阪維新の会代表)は、前日に公示された堺市長選(29日投開票)のツイートを連投。台風そっちのけの姿勢に非難が殺到するや、抗弁やお得意の論点すり替えに出たが、ネット上では怒りや失望に拍車をかける事態となった。


産経新聞ですらこう書いた。 
 約1カ月ぶりにツイッターを更新した橋下徹大阪市長。やや“軽口”気味で、台風18号による影響が心配される最中の投稿だったが、直後の話題も隣りの堺市長選に終始し、「被災地の視察は無意味」とした“自宅ツイッター”に対し、ネットユーザーからは疑問の声も上がった

 橋下は、この後、「得意」のツイッターもほとんどやらなくなった。投稿されるのは大阪都構想のCM,演説会の中継動画、「維新なチャンネル」のお知らせだけになってしまった。

 
 2013年9月16日のこのできごとは、あわや水害という非常時に、堺市民はおろか自分が責任をもつべき大阪市民の生命・安全もそっちのけに、万人をコケにするような言動を行った恥男・橋下徹の 本質を誰もが「実感」できる形で示す結果となった。

 その発端となったのが、「大和川」の増水であった。

「大和川」は、堺と大阪を隔てる人工河川。そして、大和川の付け替えは、大阪側には「繁栄」を、堺側には「苦難」をもたらしてきた歴史がある。

 おそらく橋下は、大和川の歴史も堺とのかかわりもろくすっぽ知らないで、毎日大和川を渡って堺にやってきていたのであろう。


 今回の市長選では、大和川は 二つの大きな役割を果たした。一つは、地理的に河川で遮断された堺側が、堺を飲み込もうとする「大阪都構想」に対し、「大和川の向こう側の者に飲み込まれてたまるか」という、旺盛な独立心、自由と自治の意識形成の基盤となったこと 二つは、この大和川の増水、避難勧告のさなかでの橋下ツイッター男の本性を暴きだしたこと である。

 堺とともに歩んだ「大和川」300年の歴史の中で、今回の堺市長選では、大和川が、かつての中世自治自由都市時代に堺の町を守った「堀」の役割を果たし、さらに、増水・水害の危険という河川の持つ「猛威」をむき出しにすることによって、ツイッター男の堺での政治生命を絶った。

 大和川が運んだ土砂は堺の港を埋めた一方で、戎島など新たな「土地」も生み出し、新田開発や埋め立ても可能とした。水害など苦難も多かったが、恵みもあった。そして、近年は、奈良県の人々や大和川沿岸の人々によってきれいで安全な大和川をめざす市民運動も盛んになっている。

 この市長選を通じて、「大和川」を改めて実感した堺市民。こんごどのような歩みをすすめるであろうか。


 
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Category: 堺市政問題
 
 
 
 
 
 
 
 

プロフィール

福祉・介護オンブズマン管理者 日下部雅喜(くさかべまさき)

Author:福祉・介護オンブズマン管理者 日下部雅喜(くさかべまさき)
 福祉・介護オンブズネットおおさか事務局長
 介護保険料に怒る一揆の会事務局長
 大阪社会保障推進協議会介護保険対策委員
 
 

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