2014/01/12 Sun
 昨年秋、知らぬ男から職場に電話をいただいた。

 何と、高校時代の同級生。40年ぶりに同窓会をやるという連絡であった。

 「日下部が死んだといううわさがあったが、堺市役所に勤めていることがわかったので、電話した」

 岐阜県の高校なので、何十年も交流がなければ、死んだことになることもあるのかなあ、とびっくりし、死んだことにされたらたまらないので、出席することにした。
 
 そして、1月12日、母校のある美濃加茂市内のホテルで再会。クラス47人のうち27人が参加。

 半分近くは分からない。しかし11時半から始まり、延々と2次会含めて5時間くらい付き合う中で、だんだんと40年前の記憶の断片が蘇る。

 58歳。現役としては最終盤の年代である。27人の人生はさまざまである。

 成功している者はそれなりの会社の社長に。国立大学の教授になっているものもいる。教員や公務員になったものも何人かおり、そこそこのポストにある。
 まあ、大した高校ではないので医者、弁護士、国会議員はいない。

 はやくもリタイヤしている者、転職を繰り返した者、起業した者、実にさまざまな人生。

 誰かが言った「この年で同窓会に来れる人は幸せな人生の人」ということばが印象的であった。クラスのうち2人はすでにこの世にいない。いろんな事情で来れない人もいるだろう。
ふと、私自身の40年を振り返ってみた。この高校のクラスは理数系コースで、一応進学を目指す者ばかりだった。私はと言えば、物理と数学が大嫌いで、授業もよくサボり、まともに勉強などしていなかった。他校の悪ガキといろんな悪さをやったこともあった。何か、社会の不条理というか、一握りのエリートが牛耳るような世の中に反発していたようである。同窓会でも「よくお前が公務員になったなあ」と言う者もいた。

そんな高校生活だったので、卒業時にまともな大学はどこも入れず、パチンコ屋で引っかかった自衛隊の地方連絡事務所の勧誘で、陸上自衛官の試験を受けて入隊しようとした時期もあった。三島由紀夫に憧れ、「こんな国は武力クーデターで変えるしかない」などと考えていた。

そんなときたまたま合格したのが日本福祉大学。「国防も国民福祉も国のため」。結局、日本福祉大学へ行くことにした。

そこで、始めてマルクスレーニン主義に出会い、社会変革に目覚めた。これが私の原点なのだが、それでも、あえて私は当時の日本福祉大学の学生運動の反主流派の道を歩む。住所不定状態で地下に潜り、関西の大学に出没する生活だった。

まあ、紆余曲折の人生で、反抗の歩みだったが、私なりに悔いていない。

高校生のころの私

 
 
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Category: 雑感・雑記
 
 
 
 
 
 
 
 

プロフィール

福祉・介護オンブズマン管理者 日下部雅喜(くさかべまさき)

Author:福祉・介護オンブズマン管理者 日下部雅喜(くさかべまさき)
 福祉・介護オンブズネットおおさか事務局長
 介護保険料に怒る一揆の会事務局長
 大阪社会保障推進協議会介護保険対策委員
 
 

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