2016/03/18 Fri
3月に入って、定年退職が迫ってくるとあちらこちらから、送別会のお声がかかり、花束や記念品をいただくようになった。20年以上も前のことを覚えていて下さり、記念品を託してくださる方もいた。
堺市の元ヘルパーさんから私に定年祝いのお手紙とお菓子をいただいた。
私が、登録制ヘルパーだった150人近くの堺市のヘルパーさんの組合づくりを何年もかかってお手伝いし、労組結成・全員「週3日」の固定制の非常勤職員を実現したのは1990年から91年のこと。
もう4半世紀も前のことで、2000年の介護保険制度により堺市のヘルパー事業は廃止され、非常員ヘルパーは、介護認定調査員に移行してしまった。労組の名称も変わっている。
当時のヘルパーさんから、「登録制ヘルパーから非常勤になれたのは日下部さんのおかげ。いまでも感謝しています」というお手紙と退職記念の品をいただいた。
思えば、1983年に初めて障害福祉課で、ヘルパーの担当をさせていただき、あまりにもひどい「登録制ヘルパー」の待遇に驚き、組織化をはじめて労組結成まで7年かかった。はじめた当時はわたしはまだ20歳代の若造で、ヘルパーさんたちははるかに年上の方ばかりだった。
「主婦のボランティアからプロのヘルパーへ」。100人以上の集団が、成長していった歩みは素晴らしいものであった。
いまは、わたしと彼女らの「記憶」にしかない「堺市非常勤ヘルパー」だが、多くの人が堺市内のあちこちで今も頑張っている。
すっかり高齢になられたが、まだまだお元気で、地域のボランティアやNPOで活躍されている。
私の方こそ、素晴らしい経験をさえていただき感謝である。
そこで、私の記憶と手元の資料から、堺市非常勤ヘルパーの歩みについて書き記してみた。


ないないづくしの「登録制ヘルパー」
1983年、それまで低所得世帯対象に「無料」で派遣されていたホームヘルパー(当時は家庭奉仕員と呼んでいた)の制度が変わり、一般世帯の要介護高齢者や障害者にもサービスが提供されるようになった。それと同時に、所得税課税層は「有料」化された。堺市のホームヘルパー制度は、1970年代の堺市職労の下請け労働者直営化闘争で、社会福祉協議会の非常勤職員だったホームヘルパーを全員市の正規職員化していた。24人の市職員ヘルパーがいたが、堺市はこれを減らしながら、一方で大量の「登録制」ヘルパーを導入した。登録制といっても現在の介護保険のヘルパーとは違い、当時はヘルパー資格(訪問介護員研修・介護福祉士資格)そのものがなく、全くの無研修で、試験も不要で応募者全員を登録した。市の「非常勤職員」とは名ばかりで、派遣依頼がなければ収入はゼロ。職業というより主婦のボランティアという感覚であった。仕事を受けるときは市の福祉事務所から電話一本で対象者と訪問日時だけ指示されて訪問をはじめ、報告書を月1回郵送するだけという仕組みであった。業務会議がないので、同じ所属の福祉事務所でもヘルパー間の交流は一切なく、仕事に必要な物品は全部自分持ちで、健康診断もなしの「ないないづくし」だった。ヘルパーが病気や用事で訪問できない時は利用者と自分で調整して日・時間を変更し、調整できなければ病気を押してでも訪問しなければならないこともあった。まるで「請負業」のような無責任な制度だった。
ボランティアから「職業」へ
わたしは、1983年に1年だけ障害児のヘルパー担当になって、ヘルパーと同行訪問し、非常勤ヘルパーの話を聞き、「これは何とかしなくては」と思った。何人かのヘルパーと知り合いになり、ヘルパー担当を外れてからも彼女らと何度も話し合った。「ヘルパーは障害者や高齢者の生活の一部を制度として支える大切な仕事。不安定な請負業のような報酬付きボランティアでは期待に応えることはできない」。主婦のボランティアから「職業」として考えていこうという輪が徐々に広がっていった。
「ヘルパー交流会」をつくり要求活動始める
少人数の会合を繰り返し、わたしがこっそり手渡したヘルパー名簿をたよりに百数十人のヘルパーに郵送でアンケートを行い電話で参加をよびかけ、1985年9月にたった15人の参加だったが「ヘルパー交流会」を発足させた。翌年には、待遇改善に向け再度の郵送アンケートを行い、交通費の支給、エプロンや手袋の物品支給、健康診断の実施、会議や研修開催などを「要求書」にまとめ提出し交渉を行い、2年越しの1987年4月にようやく物品支給、月1回の業務会議、年1回の健康診断実施を実現した。制度化された介護福祉士にチャレンジするヘルパーも続々と出て、「専門性をもったプロのヘルパーになりたい」という意欲も高まってきた。しかし、堺市福祉部との交渉では、これ以上の進展は難しかった。「交通費支給は?」「休みたいとき代替は?」「訪問した時ケースが留守、その時の補償は?」「困難ケースとの対応で連携したいがその時間は?」このような要求に対し、当局は「登録制だから困難」との回答に終始した。
登録制から「固定制勤務」への移行を求めて
こうした経験を通じて「利用者に責任もってよりよいケアをするためには、不安定な登録制では無理」ということで一致するところまでになった。次なる目標は「勤務日と時間が固定した勤務形態」だった。わたしはこれを「固定制ヘルパー」と名付け、ヘルパーさんたちに提案した。こうして1988年からは、「登録制ヘルパーから固定制ヘルパーへ」がヘルパー交流会の目標となった。福祉部当局に「固定制勤務への移行」を要求し交渉しながら、並行して学習会を重ね、一人ひとりのヘルパーを交流会の役員が手分けしてあたり、呼びかけた結果、1989年12月には登録ヘルパーの8割以上にあたる131人が「固定制賛同」に署名し、圧倒的多数の要求となった。夫の扶養家族から抜ける問題は、当時の堺市非常勤職員がボーナスを含めて一定の年収水準を確保していたこともあって多くのヘルパーが乗り越えることができた。
ついに「労働組合」結成へ、固定制勤務へ移行
堺市福祉部当局も「固定制」移行の必要性を認め、新年度(1990年度)予算要求に盛り込んでくれた。ところが、1990年1月の予算案市長査定で落とされ、見送りとなった。落胆するヘルパー交流会のメンバーたちだったが、わたしにとっては「チャンス」だった。福祉部との交渉は「交流会」でも出来たが、堺市当局(総務部や財政当局)との交渉は労働組合を作って労使対等の「団体交渉権」を持たない限りできない。「今こそ、非常勤ヘルパーの労働組合を作ろう」。7年間の活動を経験しているだけに彼女たちの理解は早かった。「交流会でダメなら労働組合を作って固定制勤務を実現しよう」、この一点で、10人ほどの中心メンバーが駆けずり回り、わずか1か月後の1990年2月24日、134人の参加で「堺市非常勤ヘルパー労働組合」結成大会を迎えた。さっそく前年10月に発足したばかりの堺労連に加盟、堺市当局に結成通告を行った。当局には、組合の要求する「週3日」の固定制勤務が1990年度に実現できなかった代償措置として、登録制のままでも全員に週2.5日分の勤務日数を保障することを約束させ、1年間団体交渉を積み重ね、市に予算化をさせて、1991年4月から全員週3日の定日勤務のヘルパーとなった。非常勤ヘルパーの組織化を始めた当時、わたしはまだ20歳代の若造で、ヘルパーさんたちは40代、50代の人生の先輩たちだった。それだけに、「主婦のボランティア」からさまざまな経験を通して集団で「プロのヘルパー」へと成長し闘っていく道のりは素晴らしいものがあった。
介護保険のヘルパーの処遇改善を
その非常勤ヘルパーは、1990年代は堺市当局のヘルパー民営化を乗り越えて頑張ってきたが、2000年4月からの介護保険制度とそれに続く障害者支援費制度で市が全面的にヘルパー事業から撤退する中で転換を余儀なくされた。非常勤ヘルパー全員が要介護認定と障害支援区分認定の「調査員」へと職種を変えて市の中で生き延びた。堺市は市内で行う訪問調査は、新規も更新も在宅・施設を問わず、すべて市の調査員が直接実施している。
今から20~30年数年前のこの登録制非常勤ヘルパーの闘いを振り返って、介護保険のホームヘルパーの実態を見ながら、本格的なヘルパーの労働条件抜本改善の全国的な闘いの必要性を改めて痛感している。自宅から利用者宅への「直行直帰」の不安定な勤務形態では、労働者としての基本的な労働条件は制約があるし、職業意識も育ちにくいので専門性向上も難しいことは、堺市の非常勤ヘルパーの経験で実証済である。
介護保険スタート当初、「ハロー!コムスン」のテレビコマーシャルに象徴されるように一時期もてはやされ、「人気職種」となったホームヘルパーだった。当時30歳代のシングルマザーの方から、「登録ヘルパーで身体介護を目いっぱいやったら、水商売で働くよりも実入りがいい」と言っていた人がいた。ところが、政府の「給付抑制」と相次ぐ制度改悪、報酬切り下げで訪問介護事業所は深刻な人材不足に陥り、ヘルパーの年齢層は3分の1以上が60歳以上と高齢化している。政府は介護保険改悪の中で「軽度者の生活援助は無資格者で可能」との方針を打ち出している。主婦のボランティアへの逆戻りである。不安定な「登録制」から労働者の権利が守られ、自活・自立できる職業としてのホームヘルパーの確立。これが、在宅介護の基盤を確立するうえで何としても成し遂げねばならない課題である。
 堺市のヘルパー民営化に対して、「ヘルパー制度改善を要求して署名運動を取り組んだ(1996年)
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プロフィール

福祉・介護オンブズマン管理者 日下部雅喜(くさかべまさき)

Author:福祉・介護オンブズマン管理者 日下部雅喜(くさかべまさき)
 福祉・介護オンブズネットおおさか事務局長
 介護保険料に怒る一揆の会事務局長
 大阪社会保障推進協議会介護保険対策委員
 
 

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